出居清太郎による修養団捧誠会

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修養団捧誠会の歩み

修養団捧誠会は新宗教の一つであり東京都豊島区に本部が置かれています。

創始されたのは1941年のことであり、池袋に教団の本部があります。聖地とされているのは伊豆半島にある達磨山と栃木県の佐野市です。

修養団捧誠会は新日本宗教団体連合会に加盟しています。出居清太郎が開祖とされており、教祖と称されています。万霊万物尊愛の精神で活動をしています。今でも開祖である出居清太郎からの教えを指針としています。それぞれの人達がより良い生活を送れるように、社会が繁栄するように、世界が平和になることを信じて活動を続けている宗教団体です。

教祖である出居清太郎が天から声なき声を聞き取り、それによって悟られたことがこちらの団体の教えとなっています。つまり、いわゆる教典というものは存在しません。こちらの宗教の会員は教祖の教えからいろいろなことを学んで生活しています。

今でも会員の人達は出居清太郎の言葉を大切にしていて、その言葉はホームページの方で頻繁に紹介されています。その教えは今でも生き続けていて、これからもなくなることはないでしょう。熱心な信者に支えられてこれからも会員は活動を続けていくでしょう。

渋い模様

開祖 出居清太郎という人物

出居清太郎という人は1899年生まれで死去されたのは1983年のことです。栃木県佐野市で農家の三男として生まれました。15歳になると東京に出てきていろいろな仕事を経験しました。そこで関東大震災に遭遇することになり、世界平和と人々の救済を志すようになったのです。

そのあとに数年間の修行をして、箱根山や伊豆音無神社などにおいて天啓を受けました。修行の後は東京に戻り人々のために尽くす生活をしていました。昭和16年になると出居清太郎を慕っている多くの人が集まっていたため、修養団捧誠会を結成することになったのです。

戦後になると生活に不安を抱える人が増加していったため、会員の数が急増しました。その結果として、全国各地に修養団捧誠会の支部ができたのです。出居清太郎は戦時中には政府に対して謹告文を頻繁に提出していたため、それによって投獄されていたこともあります。

開祖である出居清太郎は休むことを知らずに多くの人のために動き続けました。逝去される1週間まえまで訓話の席に立っていたほどです。このような教祖の姿に感銘を受けたという人は多いです。

世界に広がる修養団捧誠会

修養団捧誠会はアメリカとブラジルに支部があり、日本全国にも80もの支部があります。それぞれの支部では毎日正午になると平和のための祈りを行っています。

会員による集会のことは浄会と呼ばれています。教えを学んで心を清めて自己を振り返るための場とされているのです。定期的に開催されています。その他にも祈りをするための会合や自身の体験を振り返るための会合があったり、他にもさまざまな交流の場が用意されています。基本的に会合に出席するのは自由となっています。

修養団捧誠会のホームページには日々のみおしえというページがあり、こちらでは毎日違った言葉が紹介されています。修養団捧誠会は比較的マイナーな宗教団体となっているのですが、その信者は熱心な方が多いです。その多くは出居清太郎の生き方や教えに共感や感動したという人がたくさんいます。

昭和25年頃にはすでに会員数が5千人に達していたとされています。修養団捧誠会はこれまでにいろいろな出版物を出しています。それらは修養団捧誠会の教えについてまとめられたものもあれば、教祖の足跡や人生について書かれたものもあります。教祖からのお言葉を集めたものも出版されています。会員による著作もたくさん存在しているのが特徴的です。修養団捧誠会についての研究書も出ています。これらの本は今でも売れているものがあり、多くの会員が熱心に読んでいます。

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